ひと紀行       ノリ養殖 島内啓次さん             www.tawaraya-saketen.co.jp

             有明海の名産、伝統の育て方守り抜く

 どっぷり日が暮れ、星が瞬き始めた。二階十二畳間の仏壇に灯が入る。隣の神棚には、金毘羅さまの大きなお札。讃岐へお参りにいった折、仲間よりひときわ大きいのを担いできた。たくましく日焼けした島内啓次さん(39才)が、長女聡子さん(9つ)と次女絵律子さん(7つ)をやさしそうに見ている。卓上に妻智子さん(37才)が作った煮物と炊き立てご飯、アサリ汁、焼きノリが並んだ。アサリは今朝とれたもの。ノリは焼き立てといってしまえば簡単だが、なんと香ばしくてあまいこと。熱い飯にのせれば有明海の潮風が吹く。
 島内さんは佐賀市の有明海に面した西与賀町に住む。ノリ作りは子供のころから父の手伝いで覚えた。大学を出てノリを本業に選んで十二年になる。海には智子さんと共に出る。十月末のシーズンには毎朝、潟の泥で茶褐色に染まった有明海を養殖場にに急ぐ。
 船には直径八十センチほどに巻いたノリ網が積んである。船から箱舟を海へおろし、林立したノリひびの間にノリ網を張って行く。網にはノリになるもとを植え付けたカキ殻入りのビニール袋が下げられ、海水温度がが22〜23度になると、タネが放出され、それがノリ網に付着する仕組みだ。
 ノリといえば有明海というほどに、群を抜いて味もよく生産量も高い。その有明ノリに一昨年、変化がおこった。ノリは究極の自然食品と言われるが、他府県では病害防除のため酸性処理剤を使っている。ノリ網ごと酸の入った箱舟につけるもので、自然食品としてはイメージにいささかかげりが出る。そのため佐賀県有明海漁連は、最後まで認可しなかったのだが、日本中がすでに 酸処理 を常識としており、抗し切れなかった。
 同漁連は集団管理方式をとる。島内さんはあらためて他府県まで足を運んで究極のノリ作りへの勉強を重ねた。害などないというが、使う者はどんどんエスカレートするのが常。たしかに海の性質が変わったという人も出てきた。
 有明海といっても佐賀だけが使っているのではない。それでも歯を食いしばって伝統のノリ作りを続ける島内さんだ。
 「ノリは酸以前、育て方だ」が持論。しかし、さすがに疲れた。折からの渇水と生産過剰でノリの価格が暴落、もうやめようかと弱気になっていたところへ、業務用食料問屋の山室正則さん(43才)が現れた。
 名刺に北海道北見市とある。一年中旅を続けながら、少しでも良い食品を発掘する仕事だ。山室さんがいった。「あなたのノリに感動しました。取引の過程で、個人の生産物が他の製品と一緒にされるようでは情けない。ひとつひとつ問題を解決しましょう」
 かくして有明海本来の貴重なノリは残った。智子さんはそのときのことを「まるでUFOでも現れたようでした。九州の片隅を、よりによって北海道の人が理解しようというのですから」。


     朝日新聞 平成7年5月28日   文 中島真吾






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